2008年1月31日木曜日

レンタインデーの由来

タイトル:バレンタインデーの由来
ソース:
http://valentine.stylegraph.net/knowledge/roots.html

今まで何年間もずっとバレンタインチョコレートを買って愛する人々と友達にあげましたが、
私はバレンタインデーの由来に対して一度も考えて見たことがなかったんです。
来月にはバレンタインデーがあって、今度はまともに意味が分かって
チョコレートをあげるためにこの記事を読んでブログに書くようになりました。
私が読んだ記事にはバ レンタインデーの由来に対して言っていました。
バレンタインデーは若者の結婚が禁じられたローマの 3世紀に暮した、バレンタインと言うクリスト
教人を追慕する祭りと言います。記事によるとキリスト教人だったバレンキインは結婚することが
できなかった若者を可哀想に思って、密かに結婚させました。それで、皇帝にうらまれて 2月 14日に
処刑されたと言います。それで、キリスト教はキリスト教の殉教者の追慕するために2月 14日を祭りに
することに決めました。それ以降、キリスト教で2月14日は、恋人達がギフトやカードを贈り合う日とし
て定着しました。

こんなバレンタインデーは 1950年代に初めて日本に入って来ました。その後で、製菓会社やデパート
が色々なキャンペーンや広告で "女性から愛する男性にチョコレートをあげる日" というメッセージを送
って1970年代には日本全域に広がるようになりました。日本ではバレンタインデーに、女性が男性に
チョコレートをプレゼントしますが、西洋では男女がお互いにカードを送って、チョコレートや花等の贈
り物をします。反対に、男性が女性に贈り物をする日ではホワイトデーがあります。

韓国のバレンタインデーも日本と同じ習慣で、私はバレンタインデーとホワイトデーを別に祝うことはチ
ョコレートとキャンデーを売ろうとする会社の手段のようだと思って、とても商業的だと思いました。若
者の愛が成り立つのを望んだバレンタインを称えるバレンタインデーを商業的な手段で使わないで、
愛する心だけ持って愛する人にその心を伝える日になれば、もうちょっと意味がある日にならないかと
思いました。

由来(ゆらい)- origin
若者(わかもの)- youngster
禁じる(きんじる)- to ban
世紀(せいき)- century
追慕する(ついぼする)- cherish the memory of a deceased person
祭り(まつり)- festival
可哀想に(かわいそうに)- piteous, pathetic
密かに(ひそかに)- without knowing
皇帝(こうてい)- emperor
処刑(しょけい)- execution
殉教者(じゅんきょうしゃ)- a martyr
手段(しゅだん)- method
商業的(しょうぎょうてき)- commercialized
成り立つ(なりたつ)- become

2008年1月24日木曜日

三週間の旅行

私は中学生の時、韓国から家族といっしょにアメリカに移民しました。その後、学校に適応することも、家族がアメリカに定着することも、すべてが忙しすぎたから一度も韓国へ行く機会がなかったんです。そうだから、8年間アメリカでずっと住む間、私が生まれて 13年間住んだ町と友達、韓国のすべてをしのびました。 8年と言う長い時間の間ずっとアメリカに住みながら、韓国へ行きたい心は へりました。韓国に行くことをあきらめていたかも知りません。

去年の9月くらい、私の お爺さんから韓国へ来なさいという電話を受けました。お爺さんが1月に手術を受ける予定だといましたから私は韓国に行くと決心しました。旅行経費はご両親に受けなければならなかったんですが、幸いにも夏休みの時インターンシップをしながら 溜めたお金があったから、自分で飛行機チケットを買うことはできました。アメリカに来た後で一度もお爺さんと お婆さんを会ったことがなかったから、韓国へ行く飛行機の中でもずっとときめきました。

八年ぶりに見るお爺さんとお婆さんはたくさん 老けたようでした。手術を受けなければならなかったお爺さんはもっと大変に見えました。それでお婆さん、お爺さんとは一週間しか一緒にいることができなかったんです。でも、 一緒にいった時間の間、お婆さんがおいしい食べ物もたくさん作ってくださいました。他の家族たちもたくさん会いました。私が韓国で住む時はとても幼い子だったいとこたちも今はあまりにも多く育っていました。

家族たちに会うこと以外にも韓国へ行ってして見たいことがたくさんありました。昔の友達も会って見たかったし、私が通った学校にも行って見たかったです。八年ぶりに行った韓国はすべてのものがたくさん変わっていました。私が覚えている韓国がじゃなかったから、ちょっとかなしいでしだ。友達を初めて会った時も少しはぎこちなかったんです。 ひさしぶりなのでぎこちなさもありましたが、久しぶりに家族と昔の友達を会うと 昔の話をすることは本当に楽しくて幸せでした。

本当に久しぶりに会った家族たちと友達とのメモリーをおさめたくて多くの写真も撮りました。私には三週だけありませんでしだから、毎日、毎日、友達と家族に会ってご飯も食べて、時々お酒も飲んで、多くの話をしました。三週間だけの短い時間でしたが、私には一生忘れない大切な時間でした。やっぱり三週はとても短かったようですぜひ韓国にも一度いきたいんです!